組織の成長が止まるのは、それについていけない古参社員の処遇を誤った時。

午後番ははっきり言って新人3人とも能力高い。
さっき目的のファイルへディレクトリツリーを迷いなくスパパパパpッターン! と移動されたのには正直感嘆した。
先輩達よもはや放逸の時は了れり、諸君は果てなく栄えてゆくらむこのカンボジアにぞ生まれたる。精進あるのみ。

とfbに書いた件に関連して。

稲盛和夫氏の諸著書(辞めた社員が持って行った一冊は無事返ってきました)には、会社の成長段階において古参社員より新参社員のほうが輝いてる(社員だけに)のをどうしたか、実に抽象的にしか書かれていない。

「後から入った社員が、前からいる社員を追い越して、役職に就くことがあるかもしれない。諸君はそれを諒とせられたい! と諮ったところ、皆同意してくれた」
といった文意だ。文章量もこの程度しかない。

「なわけねーだろ!!!(笑)」
と思った。
当初この物言いは私に日本の国譲り神話を彷彿させた。

天孫「国ゆずれ」
オオクニヌシ「ワシじゃわからん、子に聞いてくれ」(反対しないから実質諒承ね♪)
子1「わかった…(と言って旗艦を自沈させ入水自決)」(自ら身を引いた! 諒承ね♪)
子2「いやだ!(俄かにして天孫軍動発し、襲わんとするの間、勢勝たざるを知り、遁れて諏訪湖に終わる)」(同上♪)

もちろん実際には、こんな権力闘争を社内でいちいちやっていたら、お客さんに対して仕事なんてできやしないわけで…。
逆に、なぜ稲盛氏がこのくだりでこの問題をさらっと流せるのか、そこに目を向けようよってことだ。

人事において重要なのは公平性ではない。
砂をすくって移しましょう、というような単純作業以外について、無限の客観的(数値化可能な)公平性などというものは実現不可能だ。
人事において重要なのは納得性だ。

だからこそ人事はしくみを作っておくことが大事なんだ。
月夜ばかりではない。

それがアメーバ経営であれ、何であれ、経営方式と有機的に結びついたとき、事業に貢献できた俺、できなかった俺、が互いに納得感持って見えるようになる。
経営を語りあった時点で、人事も必然的にそれに伴って決まってくるようになる。

だからそこに、人事断行に関するリーダー英雄物語は必要なかったのだ。

私が理想家肌の現実主義者としての稲盛氏に私淑してやまないゆえんである。


カンボジア大六 チームR