猫のように泣く

 自分はカンボジア語よりベトナム語ができるとずっと思っていたが、それは昔の思い出にすぎないことに気づいた。
 カンボジア人と結婚して5年が経とうとする今、私のカンボジア語は当時のベトナム語水準をはるかに超えて上達していたのだ。
 だからベトナムに来て、こんなことも言えない、ああカンボジア語ならスラスラ言えるのに…! と、みずからの語彙の貧弱さにストレスがたまる。


 しかもサイゴンでは、サイゴンのことをタンフォーホーチミンなどと呼ぶやつは誰ひとりいなかった。誰もがサイゴン、百歩譲ってタンフォーと呼んでいた。ホーチミンという単語を耳にする機会はサイゴンでは全くなかった。テレビをつけたときと、ホーチミン像に行ったときだけだ。
 しかしここダナンでは、普通にタンフォーホーチミンと言うやつがいる。タインフォーとのたまう御仁も普通にうようよいる。ここでも気を遣う。こないだも書いたが、ハノイ弁しゃべるやつが多いのだ。何言ってるかさっぱりわからないが、相手は
「こいつは大阪弁がしゃべれてるんだから、東京弁聞いてわかるだろう」
みたいに思って平気でハノイ弁で話してくる。ネイティブならそうかもしれないけどさ。


 社員は言うこと聞かないし…。
 仕事中ゲームするわサッカー見るわ…。
 カンボジアでもパソコン壊れたり電気代250$請求来たり…。
 子供が小さいので妻はベトナムに会いに来れないと言うし…。


 正直ここ数日、相当へこんでいた。(いまもへこんでいるのか、よくわからない感じ…)


 ベトナムでさびしい気持ちになるといつもおもいだす歌・・・。それは昔、サイゴンのソフトウェアセンターで働いていたころ、泊り込んだ朝に隣の幼稚園から聴こえてきた幼児向けの歌『khóc meo meo』というやつだ。
 その後も幼稚園とか遊園地でときたま耳にする。たぶん日本でいえば「ぞうさん」レベルの有名童謡なんだろう。


 むしょうに今それがまた聴きたくなり、ネットでググったところ、正式な歌の題名は『Rửa Mặt Như Mèo』だとわかった。


 しかも…! 歌詞の内容が、思ってたのとぜんぜん違う!


 自分はつたないベトナム語の聞き取り(&勝手な補い)で、勝手に歌詞を

Meo meo meo con khóc như mèo
Sao sao làm mà được mẹ yêu
…途中聴き取れない… khóc meo meo

(ミャーミャーミャー、猫みたいに泣いているよ。どうすれば、どうすればお母さんに愛してもらえるのだろう? ミャーミャー泣いているよ)


という、可愛さの中にもちょっと切なさのある、大人が聴いてちょっと泣けちゃういい歌、だと思っていた。
思っていたが、じつはななーんと、

Meo meo meo rửa mặt như mèo
Xấu xấu lắm chẳng được mẹ yêu
Khăn mặt đâu
mà ngồi liếm láp
Đau mắt rồi lại khóc meo meo

(ミャーミャーミャー、猫みたいに顔を洗うよ。汚い、なんて汚い、お母さんに愛してもらえやしない! タオルはどこやったの? 手で顔ふいたりして。ほら目が痛くなって、今度は猫みたくミャーミャー泣いているよ)

だと書いてあるではないか。
じつはとってもたわいのない歌詞だったのである。


なんか勇気づけられた感じ?