日中のギャップは民族でなく世代間ギャップでないのか

 よく言われる、日本と中国の間のギャップは、民族の性質の違いに帰せられることが多いが、どうも世代間のギャップではないのかという気がしてきた。
 高度経済成長期に日本を引っ張った経営者の方々が中国へ乗り込んでいけば、なんなくあちらでもバリバリ経営ができるのではないか、ということだ。


 いま中国へ行って工場長などをしているのは、年配の方でもたぶん、日本の高度経済成長期にはまだ下っ端だった世代の方々だろう。
 もっとも、中小企業なんかだと、若くして当時からトップだった方もいらっしゃるだろう。小島衣料の小島正憲さんなどはその輝かしい例ではないかと思うが、ここでは特殊例として除外する。


 『泥の河』をはじめとする当時の社会派映画を見るがよい。当時のニュース映像をちょっと見ているだけでもよい。いかに当時の日本が今の中国に似ていたか。
・ガンガン埋め立て、ガンガン垂れ流し、大きいことはいいことだ
・政府による、発展至上主義
・一歩裏路地は赤貧の世界
・混沌とした魔性の夜
・カオスで暴れん坊な労働者たち
 そして当時の日本の社長さんたちが、いかにそうした社会的側面を制御し、また利用して経済を発展させてきたか。
 惜しむらくは、もうその世代の方々はとっくに現役を退き、悠々自適の生活を送られていることだ。


 日本がカオスだった時代にまだ下っ端でただ言われたことだけやってりゃよかった方々が、いまトップマネジメントの座について中国へ赴任したときに、
「カオスな中国は日本と違う! こんなんじゃ経営できない!」
と叫ぶ。これは実は
「カオスな中国は、今の日本と違う!」
というだけのことであって、昔の日本とはたいして違わないんじゃないか、って気がしてきたのだ。


 こないだ日本から仕入れてまだ読めていない本のなかに、『中国貧困絶望工場』がある。
 これも、目次を見たところは一見、本のタイトルどおりの内容に見えるが、しかしざっとページをペラペラめくった感じだと、全体に底流しているのは
「中国の発展へのすさまじい勢い」
であり、これは日本の高度発展期と何ら変わるものではないのではないか。


 逆に、中国の開発区がすごい! 労賃やっす!(最近はそうでもないが…)それに比べ日本のショボさよ労賃の高さよ…というような話についても、今の日本の高度化した社会における調整作業の煩雑さだけを見ているのであって、昔の日本のお上はなかなかパワフルだった気がする。
 立ち退きは迅速だったし、漁業補償も早々に決着させていたように思う。労働争議はゴボウヌキだし(笑)。少なくとも現代のうちの実家の近所のように、1車線の地域幹線道路を2車線に拡幅するのに30年かかった、というようなことはなかったのではないか。


 日本人労働者を魅力的にする方法 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
 Railsで行こう!さんがこのあたりの話を書かれていたので、触発されて書いてみた。


 裏を返せば、もし今、中国が日本にとって何らかの脅威ないしライバルとなろうとしているのであれば、そのように考える人々は、では日本に往年の勢いを取り戻すにはどうすればいいか、を問わねばならない。
 若い人にはそれは「日本中国化計画」に見えるかもしれないが、決してオレに餃子を食わせろと言ってるわけではなく、日本を昔のすごかった頃に戻そうよ、と言ってるだけなのだ。


 もちろん、今の中国同様、当時の日本にも素敵な面、悪い面、いろいろあったろう。
 しかし素敵な面は、悪い面と表裏一体になっており、不可分であることが多い。
 選択集中をすれば、切り捨てをしなければならない。
 発展を取れば、福祉は二の次にしなければならない。
 精神的に豊かな暮らしをしようとすれば、自動車や海外旅行はあきらめなければならない。


 「昔の日本はよかった」という人は、「中国最高!」とか「平安時代に生まれたかった」とか言う人同様、もしかしたら、自分がものづくりバリバリ大企業の正社員になったり、札束持ってKTVへ繰り出すお大尽になったり、紫式部になったりすることばかりイメージしていて、泥の河の上の売春婦になったり、チベット人になって親を撃たされたり、羅生門の老婆に生まれ変わったりする可能性は考えていないかもしれない。


 円安誘導→日本復活論もそれと同じで、自分が1ドル200円の国で一生海外旅行もできず工場で使い果たされる姿はイメージしていないように思える。
 私も含め日本人にはものづくりの能力以外なんの能力もないことがバレつつある以上、客観的厳然たる事実としてそれが唯一の道であることは私も否めないが、しかし国策としてそれをやりますと言った瞬間、次の選挙でその党は多数決で下ろされるだろう。国民の大多数は下っ端だからだ。
 わかっちゃいるけどもうどうにもならない、そういうところまで一度日本は今来てしまっていると思う。


 日本人はどこへ行くのか。
 いや、あなたはどこへ行くのか。
 ひとりひとり、考えてみなければならないだろう。