マニュアル人間を作らないために
日曜は日本語能力試験の監督をやらせてもらいました。
たまたま、一番興味があったN3の担当になったので、机間巡視にかこつけて全問解いてみたが、さすがに良問が多かったです。
この「日本語能力試験」は、全世界で同じ日に、一斉に実施されます。
不正や不公平を防ぐために、受験生にはさまざまな決まりごとが課され、監督官にはその施行を確実たらしめることが求められ、そのためのマニュアルが整備されています。
大企業に属したことのない私にとって、この「人様の作ったマニュアルに従って動く」というのはなかなかそれ自体貴重な体験だったりするわけですが、日本で日雇いで紀文や森永や福山を数日やった時以来の体験として痛烈に感じたのは
「ああ! マニュアルで動かされている間、俺は持てる能力の数分の一しか発揮していない!」
ということでありました。
まず第一にどうしても考えてしまうのが、マニュアルから外れてはいかん、ということ。
今回も受験生の中には、ちょっと酌量して欲しい、と涙目で訴えてきた人とかいたわけです。具体的には言及を避けますが…。そういうとき、私が社長で自分の会社、あるいは上司で自分の部下とかだったら、
「ああいいよいいよ、今回はいいことにしてあげる、次回気をつけてね」
と言っちゃうんだろうけども…。
マニュアルがあるので、そうはいかんわけです。
すると、創意工夫は敵ってことになりますよね。
よく、お役所根性とか、大企業病とか言いますけど、いざ自分がその立場に立ってみれば、ものの数十分で同じ行動様式を採るんだってことが痛烈にわかりました。
で、ひるがえって自分の会社についておもんみるに…。
やっぱり、マニュアルを整備していこうっていう方向性は、間違っていないと思うんですよ。なんか不具合が起きたときに、なぜなぜでその真因をつきとめたとする。その防止策を開発できたとする。すると、その歯止めはやはり標準化であり、その双璧はポカよけとともに「マニュアル」であるわけです。
マニュアルは神である、その一点はゆるがせにできない真理である。
ただしこの神は、「人により作られた神」であることに留意しなければならないんですよね。
人が神に絶対的に従うのではない。
人の側の必要に応じて、いつでも発議され、改憲され、改善させられていく「神」であらねばならない。
でなければ日曜の私のようにただただ盲目的にマニュアルに従うだけで、それを改善しようなどという創意工夫の余地は出てこない、すなわち、社員一人ひとりがその能力の数分の一しか活かしていない就業時間を過ごしてしまうことになってしまうから…。
しかし、神ってもんはもともと、そういうものかもしれませんね。人が「発見」したともいえるが、「発明」したともいえるわけで…。
まあそれはともあれ、じゃあどうやったらマニュアルは絶対じゃなくあなたがたがいつだって変えていいんですよっていう存在感に持っていけるかっていうのが今の僕の課題です。生産管理にせよ品質管理にせよ。
これにはトヨタ式と京セラ式が日本的には大きく二つ流れがある。
あとはみんなこの二つの分派であるとしたときに、じゃあ自分らの組織にはどっちを基本としてそのバリエーションをカスタマイズしていくかっていうことになる。それは業種によるのか、それとも社風によるのか、何によるのか?
おりしも、『大塚康生インタビュー』を再読したのはほんとに奇しきタイミングかなと言わざるをえない。
この本の7章に、買った当時はまったく読み飛ばしていた、アニメーションスタジオ(アニメプロダクション)の経営に関するかなり具体的な記述があるんですよね。
これが今読むと実に面白いのです!
未来少年コナンは実はムーンライトシステムに支えられていたとか…。
作画監督が直し代を原動画から(間接的に)徴収する案があったとか…。
どんな良作も、おおもとは経営者の「夢」から始まっており、アニメファンはそこにスポットを当てることが従来少なかっただとか…。
本は読む者の成長に合わせて見せる貌を変える。いやまさに。
ウチも日アニやAプロのそうした人事的な試行錯誤を、データ処理という割りかしアニメの原動画と似た(カット指定が来て、それに従って図版を「処理」し、お返しするという流れがそっくりな)業務分野において、後からなぞってるに過ぎないなあという感慨を強く持ちました。
ダイコンフィルムのくせにテレコムとかに潜入した貞本氏とかのくだりでは「お前は俺か!」と吹き出しました。
大企業ではこういうのどうやってるんだろう…ってのはいっつも悩んでることなんですよ僕。
いたことないから。
いたとしても上記のように最底辺の日雇いアルバイトとして数日いただけなので、垣間見るだけ。
本いろいろ買ってがんばって学ぶんだけど、所詮本です。
だから貞本氏たちにすごい共感した(笑)。いやほんと。
で、今回の日本語能力試験で俺がやったことももしかしたら畢竟貞本氏だったよねと。
生産管理や品質管理についてはもちろん作画監督を歴年務めた大塚さんへのインタビューですからトコトンこの本では述べられているということは言うまでもないとしてですね。
そこにおいて大塚さんから僕なりに学んだことは、マニュアル人間を作らぬためには、逆説めきますが、アカデミズムをきちんと踏まえろと。基本を踏めと。
それでこそ崩せる、マニュアルに対してクエスチョンを出せる、すなわち改善への道が開けるんだぜっていう俺へのメッセージだと勝手に解釈した日曜の昼下がりでありました。
また大塚さんたちの歴史観では、「東映(日動)的なるもの」vs「虫プロ的なるもの」の構造というのが繰り返し現れる。それが日本のアニメ史の通奏低音になっている。
それはどちらを選びとるかとか、どちらがウチに適しているかとか、そういう次元のものではない。そんなことよりももっと、個々人の仕事人の指向の根底に根ざしたものなんだ。
それが一致した者どうしが集団を作っている。ガンダムを作りたい人間が間違えてテレコムに入ってもすぐ辞めていく。
トヨタ流か稲森流か、っていう問いの立て方もこれと似た答えになるのかなとちょっと思いました。ただ、これについてはウチはどっちの人間が集まっているのか、集まっていくのか、まだ僕ら自身わかっているとは到底言いがたいですけども…。
カンボジア人はこうだ! なんて僕が勝手に決めこんだりすることもあったけど、少なくともそれじゃイカンわけです。最終的には、カンボジア人たちが決めることでしょうね。どれが皆さんの好みにあうか、メニューを提示するのが僕の仕事かもしれません。
ビジネス書ばかり読んでいないで、こういうなんて言うんでしょう、外へ出て何かロールプレイしてみるとか(いや実際の真面目なお仕事として、報酬もちゃんといただきましたが)、シュミっぽい読書してみるとか、そういうことも意外と大切ですよね、またそれが今回のように見事に24時間以内のタイミングにピタリと私のためにハマって目の前に提示されたりして、なにかしら宇宙は俺の周りをまわっているという思いをひとしお強めたことであります。