後天的日本人で行こう!

ゆうべTwitterで書いたののコピペです。打ち間違いは直しました。
まあ、あっちゃこっちゃで読んだり聞いたりしてこれまで学んだことをゴックンカミカミしてブッと出力しただけですけどね。

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「日本人として」「オレは」「こういうことを」「しない」。この後天的日本人の4要素を一つでも欠くなら、そのひとは高々、先天的日本人であるにすぎない。


親が日本人だ等によりはじめから日本人だった先天的日本人が、みな後天的日本人ではない。後天的日本人になるには、主体的にそれになることを選びとる必要がある。


先天的日本人のメンバーは選べない。後天的日本人のメンバーは、みずから選んだひとたちだけである。オレは後天的日本人たることに帰属意識を持つ。先天的日本人でもあることはたしかだが、そこに帰属意識を持つことにあまり主体的意味を見いだせない。


メンバーを選べない組織を律するのは、暴力装置による恐怖である。公立校の公務員教師が内申を盾に生徒に言うこと聞かすのと似ている。そこに尊敬は必ずしも介在しない。


むしろ、恐怖に依拠した統治姿勢では、尊敬に足る相手でもすなおに尊敬できないという悪循環がある。尊敬に足る人間はそのようなところに居心地の悪さを感じることが多い。


メンバーを選べない組織で上に立つ立場に、尊敬に足らない人間ばかり残ってしまうのは、このように、悪貨が良貨を駆逐するためであろう。


メンバーを選べない組織では、官僚的な恐怖統治とコンセンサス構築に多大なエネルギーが割かれてしまう。帰属意識の仮構にも大きな意が用いられる。そのような環境に依存してなにか意味のある目的を追求することは非常にロスが大きい。しかし人生は短い。


あなたも後天的日本人になれるわけではない。あなたにまず決定的に欠けているのは「オレが」だよね。あなたが日本を得々と語るとき、そこにあなたはいない。あなたがじゃあナニをするの?


まわりのみんながしてるからする、してないからしない、ということは自慢にならない。してるやつとしてないやつがまわりにゴッチャになってるときあなたはどちら?それをみずから考えて決めていかないなら、あなたの他民族批判や日本人礼讃になんの重みもない。


とりわけ大事なのは何々を「する」じゃなく「しない」だと思ってる。人生もエネルギーも有限だという衝撃の事実がその背景にある。何を「しない」ないし「やめる」か決めて守らない限り、何かを「するぜ!」と宣言したって、実現するわけない。


ひとは何をしないかは、「する」ことを免罪符として流されやすい。だからこそ「しない」は「する」よりも上位に立てねばならない。それでこそ、誇りを持って日本人として目的に向かって邁進することができると思うんですチョリーッス