人は死ぬ
むかし日本にいたころに取得したニコニコ動画のIDを、最近ベトナムで再利用している。
ベトナムはそこそこインターネットが速くて、10$ホテルの無料Wifiレベルでも、ニコニコ動画レベルのものを見るには日本とまったく遜色ない環境だからだ。
ニコニコ動画には本当に何でもあるのだなあ。
岡田有希子の、あの頃のラジオでさえ、鮮明な音で録音されたものがアップされていた。
【ラジオ】岡田有希子の夜遊びしナイト 第1回 - ニコニコ動画
人は死ぬ。
高校二年のとき僕はそれを、暴力的な形で思い知らされた。
以後、親が死のうが、友達が死のうが、まったく無感動に時を過ごしてきた。
だって、人は死ぬんだから、ジタバタしたってしょうがないじゃないか。
嘆き悲しんだって茶番じゃないか。
人は死ぬ。
だったら何をしたっていいじゃないか。
僕自身もその後すぐに、不治の病にかかり、まあ不治だというだけですぐ死ぬとはかぎらないんだけど、たまたま運よくすぐには死ななかったんで、こうしてこれを書いている。
人生観はそういう、しょうもないことで案外、形作られてしまうものだ。
今振り返って、そのことに気づかされる。
どんなに愛そうが、どんなに全身全霊を傾けようが、ある日そいつは自分勝手に死ぬ。
そして世界はそいつを愛した僕らをあざ笑う。
そいつを愛する幸せを喪わずに済んだ彼らは勝者だと勝ち誇る。
人は死ぬのだ。
100万円が死の前に何を言うというのだ。
カネが何を死んだ人間に物言うというのだ。
いまいち人生を愛せず、人を愛せず、まわりの人間をすべて劇場かテレビとしか見ることのできない、そんな醒めた生き方をこの二十数年してきた。
子が生まれれば多少、治るかと思ったが、いまだにこの人生観は変わらないままだ。
人が寄ってくる。
人が去っていく。
人が僕をシカトする。
すべては映画の中のこと。
まったく痛くもかゆくもない。高校二年のあの春以来、僕は人間であることをやめてしまった。