Let's kiff!

 キフをしよう!


 キフは、キスの単なる一画書きそびれではない。
 それはキスと同じように官能的だ。
 なんとなれば、与えたものに数倍するエクスタシーがあなたを襲うからだ。


 同様に、kiffはkissの単なる訛りではない。
 それは人生のフォルティシモ(ff)だ。
 なんとなれば、あなたはそれにより、カネのために生きない生き方を思い出すことができるだろう。


 きょう、カンボジアの福祉団体からメールが来た。
「覚えていますか。あなたは以前、私たちをご訪問になり、足のない青年たちのためのコンピュータカリキュラムが資金不足で廃止されたことを、本当に残念がっていらっしゃいました。そして、それを復活させるには何ドルぐらい寄付が必要かとたずねられました。その時私は、『今年度が終了し、次年度の予算編成の時期になったら、寄付の件でメールを差し上げる』と申し上げました。今、今年度がまもなく終了しようとしており、次年度の予算編成を考える時期となりましたので、メール差し上げます。提案書をお送りしてもよろしいでしょうか?」


 あの時あのひとはそんなことを言っていたのか。彼女の流暢な英語は、英語堪能でない私にはほとんど聞き取れていなかった。(メールくれるって言ってたのに、くれないな〜)と思いつつ、いつしか忘れていたのだ。


 ちょうど、おととい読了した本で、Tim Ferrisが寄付を勧めていた。まったくなんてタイミング。Timは言う。
「寄付をしてみたら? 経済的自由を得て、あなたは本当に自分がしたいことができる立場になったとき、他の同様の人と同じように、たぶん何していいか途方に暮れると思う。そんなときはたとえば、ちょっと匿名で寄付でもしてみたらいいんじゃないかな。きっと、カネのために何かする、っていう9時5時な思考パターンから抜け出せると思うよ」(注:私が噛み砕いた超意訳ですあしからず)


 ああ、ロバート=キヨサキも似たようなことを言っていた。
「経済的自由を得るには、考え方を変える必要がある。お金は考え方だ。すなわち、まず与えることにより、はじめてその数倍のリターンが得られる、ということを体得する必要がある。そのための手っとりばやい手段の一つは、寄付することだ。まったく無償の寄付。ただ与えることで、あなたが得る精神的インパクトは、驚くべきほどだ。寄付する前に感じたほど、その寄付した額をあなたは絶対、無駄と感じないだろう」(注:同上)


 経済的自由を得る前か、それとも後か、両者は微妙にその点で違っているけれど、根本で共通しているのは、経済的自由を得た人の考え方をするための非常に有効な一手段として、寄付を勧めているという点だ。


「でも、どこに寄付したらいいかって? それを探せるサイトを以下に紹介するよ!」
 Timはいくつかのサイトを紹介している。でも幸か不幸か、僕の家はカンボジア。周囲を見回せば、寄付の対象に事欠くことはない。
 問題は、仕事の契約上、まだ当分カンボジアへは帰れないんで、彼女とface to faceで話はできず、彼女への現金輸送も妻に頼むことになるだろうってことだ。妻が納得するかって? ここの修了生からスタッフ採用するって言えばいやでも納得するさ。
 まあ、small contributionですけど…。