「私の身の上話はすべて売春撲滅NGOがお金を得るために覚えさせられたセリフでした」売春したことないのにNGOに売春婦として公開され人生をめちゃめちゃにされた少女、怒り狂う父親

1998年1月にフランスのテレビ局『2チャンネル』の人気ショー番組『Envoyé Spécial』で放映された映像に14歳の性被害者の少女として出演したミア=ラッターさんは、今年9月「あなた方がご覧になった映像で私が語ったことはすべて、私の身の上ではありません」と述べました。
ラッターさんは映像で、少女売春の現場とキャプションされた場所でカメラに向かい「お父さんは失踪しました。お母さんは去年重い病気にかかりました」と語っています。
映像では、ラッターさんを救出したと称する、プノンペンをベースとするNGO「Agir Pour Les Femmes en Situation Precaire (Afesip)」の代表ソマリー=モーム女史が、ラッターさんに寄り添い、手を握り、ラッターさんが泣き出すと、ソマリー代表が抱きしめています。
映像では、ラッターさんがプノンペンでウェイトレスの仕事を約束されながら、実際には売春宿に閉じ込められたとしています。
ラッターさんはこの映像について「ソマリーは言いました…他の女性を助けたいなら、(このインタビューを)非常にうまくやらなければならないと」と回想しました。
ラッターさんの父コン=トゥットさんは、今もター=カエウ州のラッターさんの故郷の家に住む、60代のやせた男性です。1997年にトゥットさんのいとこから、トゥットさんは貧しくて7人の子をよく養っていくことはできないだろうから、2人をAfesipへ送るよう勧められたといいます。
1997年にラッターさんと一緒にAfesipへ行って暮らした、ラッターさんの姉妹であるミア=ソカーさんは、ター=カエウ州の故郷の家からプノンペンにあるそのNGOのセンターまでの道のりのどこにおいても、ラッターさんが売春宿に売られたことは決してなかったと述べました。
ソカーさんは「彼らが彼女を撮影した唯一の理由は、彼女が私より賢かったからです。彼女は私より話すのが上手でした。私はそれがあまりうまくなかったのです」と回想するとともに、「大切なことは、私たちは良い少女なのに、彼らは私たちは良くないと言い、私たちは売られたと言ったということです。彼女はレイプされたこともないし、売られたこともありません。彼女は搾取されたことはありません。ただ私たちが非常に貧しかっただけなのです」と訴えました。
娘が少女売春婦として映像に出演したと聞いたとき、トゥットさんは事実無根であるとして、父としてソマリー代表に断固抗議するため、親類たちとともにプノンペンへ上京して警察とともにAfesipを訪れたといいます。
「娘は彼らに体よく利用された」とトゥットさんは回想しました。
ラッターさんはその時、怒り狂うトゥットさんに言ったそうです。「お父さん、諦めて。これがこのNGOのルールなの」
ラッターさんの母ミア=ソコムさんも、ラッターさんの聡明さを伸ばしてほしくて送った先のNGOで、ラッターさんが少女売春婦として映像出演させられたと聞いたとき、衝撃を受けたといいます。
ソコムさんは「私の娘は性奴隷になったことはありません。私たちは彼女の両親であり、ずっとここで一緒に暮らしていたのです。そのようなことはなかったのに、なぜ彼らは彼女の人生をこのようにドキュメントしてしまったのでしょう」と語りました。
「私は彼女にそのドキュメンタリーについて尋ねましたが、彼女は何も言いませんでした。彼女はただ黙ったままでした」とソコムさん。
ラッターさんは、自分が出演したこの映像を見たことがありませんでしたが、今月10月、初めて映像を見たところ、当時自分と一緒にいた12歳の少女アトゥオ(映像にはソカーという名前で出演)が、売られて養父にレイプされたと語っているのを見て非常な衝撃を受けました。なぜならラッターさんがソマリー代表から聞かされていた話によれば、アトゥオさんはこの映像に出ていないはずだったからです。
ラッターさんによると、ソマリー代表は、この映像の撮影前にラッターさんに、この話は本当はアトゥオさんの身の上話なのだけど、本人がショックを受けすぎていて自分では語れないから、あなたがかわりに自分の身の上として語ってほしい、と告げたといいます。ラッターさんは、自分の話ではないけれど実際にあった話なのなら、ウソを語ることにはならないと納得させられ、同意したといいます。
「なぜ彼女がこの映像に出ているのか私にはわかりません。ソマリーは私にウソをついたのですね…。ソマリーはこれがアトゥオの身の上だと言ったのです」とラッターさんは語りました。
「あの時、私の本当の身の上話を話さないので、私は嬉しくありませんでした。でも、アトゥオがかわいそうだと思ったので私は泣いたのです。私にはわかりません」とラッターさんは語りました。
カンボジアに長く住んでいるフランス人女性Marie Christine Uguenさんは1990年代後半に、当時ティーンネイジャーだったラッターさんと何ヶ月も一緒に住んで面倒を見ていました。Uguenさんがある日仕事でバッタンバンを訪れたとき、ふとテレビをつけると、フランスの2チャンネルにラッターさんが出ていて、Uguenさんが聞いたこともない身の上話をラッターさんが話しており、非常な衝撃を受けたといいます。
Uguenさんは「私は、この話がどこから出てきたのかまったく理解できませんでした。私はラッターを私の前に座らせ、いったいこの話はどういうことなのかとたずねました。私がテレビで見たばかりの物は何?」と回想しました。
「するとラッターは私に話しました。『おばさん、基本的には、私はあなたが同意しないだろうとわかっています。でもソマリーが、トゥオル=コークにある1軒の家へ他の何人かの女の子たちと一緒に行けと言ったのです。そして私が一番よく演じることができたので、私は彼女に選ばれたのです。』」とUguenさん。
「私は彼女に言いました。『なんですって、あなたたちはリハーサルをしたの?』。すると彼女は私に言いました。『はい、私たちはトゥオル=コークにある1軒の家でリハーサルをしました。そして最後に選ばれたのは私だったのです』」とUguenさん。
Afesipでは、ラッターさんをどこの売春宿から救出したのかを明かすことを拒否しています。また、どこの警察にラッターさんに関する被害届を出したのかを明かすことも拒否しています。
ラッターさんはこの映像のオンエア以来、こんにちまで長い年月を、「売春婦」「親に売られた子」としての汚名とともに生きてきました。
ソマリー代表の話にはこれまでにも虚偽が多いことが指摘されています。
カンボジアでソマリー代表が売春宿から救出した8人の少女が、ソマリー代表が設置したシェルターに軍隊がなだれ込んだ際に殺されたと、ニューヨークの国連総会でソマリー代表は話しましたが、これはウソであったことをソマリー代表は昨年2012年に最終的に認めています。
ソマリー代表はこの件に関するインタビューを拒否しています。
また、ソマリー代表が性産業に打撃を与えていることへの復讐として2006年にソマリー代表の当時14歳の娘が誘拐されて輪姦された、とソマリー代表が広く宣伝していることについても、昨年2012年に、ソマリー代表の元夫が、彼女が資金集めのためにでっち上げた虚構であるとして強く否定しています。
ソマリー代表はこの件に関するインタビューを拒否しています。
少女売春婦として監禁され、客との性交を拒んだ罰としてナイフで眼をえぐり取られたと、ソマリー代表が広く宣伝しているロン=プロさんについても、プロさんの両親や病院の記録によれば、幼少時の腫瘍が原因で手術で摘出したものであることが判明しています。両親は、プロさんは家からプノンペンのソマリー代表のNGOまでまっすぐ送られたのであって、売春宿で過ごしたことは決してないと語っています。
ニューヨークのソマリー=モーム財団広報事務局はこの件についてコメントを拒否しています。ソマリー代表はこの件に関するインタビューを拒否しています。
米国の内国歳入庁に提出された財務報告書によれば、ソマリー代表がソマリー=モーム財団から報酬として得た額は、2009年に85,000ドル、2010年に96,000ドル、2011年に125,642ドルにのぼっています。

http://www.cambodiadaily.com/selected-features/secrets-and-lies-44964/

http://www.cambodiadaily.com/selected-features/the-rise-of-the-somaly-mam-foundation-44976/