シハヌークの副首相→汚職で失脚→ロンドンで妊娠中の妾を虐待して召還→CIAの手先となりシハヌーク暗殺をもくろむ→1959年暴露されタイへ逃亡、失踪…サーム=レアンシー氏の執念と従米は父ゆずりか

リンク先の筆者は、欧米諸国、とりわけ米国がカンボジアにせっせと扶植している救国党支持勢力を、ひとたび爆発すればカンボジアの安定を根底から破壊し、ポル=ポトの「Year Zero」を再現させるおそれもある危険な「人間地雷」とたとえるとともに、同様に米国の手先であった政治家サーム=サリー氏の実子であるサーム=レアンシー氏によって救国党が率いられているかぎり、カンボジアは新たな内戦の危機を拭い去れない、となかなかセンセーショナルに警告しています。
サーム=サリー氏は1950年代、シハヌーク国王のもとで重要な役職を担い、副首相まで登りましたが、輸入許可証の発行にまつわる汚職スキャンダルで失脚。1958年駐英大使に任命されますが、ロンドンで妊娠中の妾を虐待したことが『タイム』などに大々的に報道されてカンボジアへ召還され、すべての地位と権勢を失いました。下野したサリー氏は、自身の党の結成を試みるなどしていましたが、やがて米国訪問をきっかけにCIAの手先になったと言われており、「バンコク プロット」の名で知られるシハヌーク暗殺計画を企てます。しかし1959年これをシハヌーク自身の演説により暴露されタイへ逃亡しました。1963年に氏は失踪、一説にはCIAに暗殺されたのではないかと言われています。

http://kerrycollison.blogspot.com/2013/07/cambodia-on-road-to-civil-war.html

http://en.wikipedia.org/wiki/Sam_Sary