広東


 中国東北地方(北朝鮮日本海にへばり付き)の旅をひとまず終え、広東省に戻ってきました。


 湖南料理の店があったので、湖南料理ってどんなものか全然知らないで入ってみたのですが、辛くて有名な四川料理じゃないので油断してたら、注文した「香辣盆盆湯」(湯の下に火)が、四川火鍋そのものの辛さで死ねました。辣の字がつく料理を中国で注文するには覚悟が必要ですね。しかも量がバケツ一杯の肉やら内臓やらその他って感じで、38元は確かに大金だけど、こんなにたくさんの食材をまかなうには足りないような気がするんですが…。現れた時点でもう敗戦決定という。


 今回の東北地方の旅は、ほとんど、延辺朝鮮族自治州の中の旅となりました。朝鮮人という民族について考えさせられます。中国における少数民族としての朝鮮族。かつてカンボジアにおける少数民族としてのベトナム人と接していた私が、そのあと初めてベトナムを訪れたとき、ベトナム人ばかりでできている街、いやそれどころか国、というのがなんだかすごい不思議な感じしたのを思い出しました。私は韓国(インチョントランジットを除き)にも北朝鮮にも、まだ行ったことがありません。いつかソウルか平壌かどこかを訪れたとき、あのときと同じ感覚にまた包まれるのでしょうか。


 神州という中国語は不思議な言葉で、これを日本人が発すれば日本を意味し、中国人が発すれば中国を意味します。日本の陸軍大臣は「神州ノ不滅ヲ確信シツヽ」切腹しましたが、中国の携帯電話のプラン(SIMカードの種類)のなかに「神州行」というネーミングのものがあり、人気を博しているのを見ると、日本人として複雑な気持ちにさせられます。思えば九州やら湘南やら、日本は中国の別名やら地名やらをパクりまくってきました。日本人はもっと、日本に誇りを持って、独自の呼び方をするようこころがけなければならないと思います。


 私は中国に赴任したことはありませんが、中国人は日本人と顔がよく似ていて、なんだか心がそれだけで通じ合うような錯覚に陥ってしまいますが、その分だけ、それが錯覚だと気づいたときの失望も大きいのだろうなと想像します。中国人をよく知る人が中国人を悪く言うのが日本ではよく見られますが、カンボジア人を悪く言う人の割合はそれに比べると多くないように感じます。やはりカンボジア人は日本人と顔が違うひとが多いので、変な幻想を最初にいだかなくてすむおかげなのでしょうか。実は日本人との気質的な共通点がむしろ多いのは中国人よりカンボジア人だと私は感じています。


 延吉の空港で北朝鮮の貨幣を買い求める際、店員の朝鮮族顔した兄ちゃんに、「韓国朋友?」(ハングオポンヨウ?)ときかれました。朝鮮族のあいだに「日本朋友」という言い方があるかどうか知りませんが、ここに朝鮮人の居住する一帯があり、それが4ヶ国に分断されている(カレイスキーはひとまず措くとして)というのは、本当に興味深いテーマだと感じます。政治家にとっては難しい問題もはらむのだと思いますが…。中国の少数民族で、隣国に本国を持つ民族はそう多くはありません。朝鮮・タイ・ウイグルぐらいでしょうか? [追記]→そういや蒙古がありました


 「ノ旗」という看板を見かけました。旗屋さんなのですが、「ノ」っていう漢字があるのかと思い、どんな意味だろう! と興味がすごくわきましたが、二度目に通りかかったとき、光の反射で、「廠」の一画目がきれいにはがれてしまっただけだと気づきました(簡体字の「廠」は2画しかない)。